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スペシャルインタビュー
久保田明子

興味があるなら年齢は関係ない、いつだって挑戦すべき

久保田 明子 氏

アイクリニック自由が丘

家族で訪れてもらえるよう地域に根差した医療を実施し、またアイメイクやカラーコンタクトなど、目元のオシャレ大好き世代も正しい知識でサポートするアイクリニック自由が丘。その院長を務めるのが、仕事にもプライベートにもパワフルに取り組む久保田明子先生だ。
今回は、久保田先生から医療への取り組み方や、若手医師へのメッセージを伺った。

白内障の手術の見学がきっかけで眼科医へ

父親が耳鼻科の開業医だったことから、医師を志した久保田先生。眼科医を選んだ経緯についてお伺いした。
「子どもの頃から、病院へ行くのが大好きだったんです。消毒液の匂いも採血されるのも大好きでしたし……変わった子どもですよね。
実家の1階が父の診療所だったためいつも学校から帰ると降りていき、鼻の予防治療や耳掃除をしてもらいました。なので、小さい頃は、耳鼻科医になって耳垢をとることが夢だったんです(笑)
高校を卒業するとお兄ちゃん子だったこともあり、親元を離れ兄と同じ金沢医科大学へ進学しました。
大学5年生の臨床実習で眼科をまわった際、キレイな女性の助教授が、まるでお裁縫をするように目をチャチャチャと縫われているのを見て感激しました。白内障の手術ではほんの5分くらいで水晶体の濁りを超音波できれいに吸い取り、ピカピカの眼内レンズを入れるのですが、それがすごく気持ちが良くて。さっきまで見えていなかった患者さんもすぐ見えるようになって、皆さんとても喜んでいるんです。その光景を見て、「なんて素晴らしい仕事だろう、私も眼科医になって皆さんを幸せにしたい」と思いました」
ご実家が耳鼻科だったにも関わらず眼科を選んだことで、父親からの反対はなかったのだろうか。
「父も若い時に耳鼻科と眼科医で悩んだことがあったため、私が眼科医になったことはすごく喜んでくれました」と久保田先生。
二年前に亡くなった父親が倒れたことをきっかけに実家の医院は閉院したものの、現在は耳鼻科医となった兄が同じ埼玉県で耳鼻科を開業しているそう。

金沢医科大学で9年間勤務後、再び東京へ


大学を卒業した後、金沢医科大学病院へ入局。金沢で9年間を過ごし再び東京へ戻ってきた。
「金沢医大の時は、角膜やドライアイの専門外来に携わっていました。重度の角膜外傷で数回にわたる手術が必要となった患者さんの担当医となった時、日本を代表する角膜移植の権威のもとに短期国内留学という形で勉強に行かせてもらいました」
しかし、東京で勉強を重ねるうちに別の分野にも興味を持ちはじめる。
「角膜と密な関係にある眼瞼にも興味を持ったんです。眼瞼は手術で見た目も大きく変わりますし、美容整形にも通じます。そんなことを考えていたら、美容方面の基本的な知識も身に着けたくなり東京へ戻ることを決めました」
東京へ戻った久保田先生は、実家に住みながら美容外科の勉強をはじめる。
「順天堂大学の形成外科で勉強させてもらいました。でも、形成外科の手術の見学者は踏み台に乗って小さな術野を覗き込むような体勢で長時間いるため、持病のヘルニアを悪化させてしまったんです。どこかに所属することもなく実家のお世話になりながら形成の勉強をしていたので、「私には向いていないのだろうか、このままでいいんだろうか」と落ち込みました。
そんな時に、角膜の勉強の際にお世話になった現慶應義塾大学病院眼科の准教授から「せっかく今まで眼科でやってきた知恵があるんだからムダにすることはない。眼科を土台に目の美容をやればいい」とアドバイスいただきました。それを聞いた時、確かにその通りだ。今から形成外科で広い分野を勉強するのではなく、自分の知識を活かすべきだと自分の進むべき一筋の道が光り輝いて見えた気がしました。さらに同大学で眼形成を専門的にされている素晴らしい先生を紹介していただき、その方に付いて学ぶことができました」
その後は、院長を務めていた飯田橋眼科クリニックでも眼形成の手術を積極的に行い、また母校の金沢医大眼科で眼形成外来を立ち上げたり活動の幅を広げている久保田先生。その時々に人との縁があったと話す。
「振り返ると、会わなきゃいけないタイミングで、会うべき人に会っているんですね。迷っている時、必ず誰かに手を差し伸べてもらっていた気がします。金沢医大眼科で眼形成外来を作りたいという時も教授に助けてもらいました。人の縁に恵まれている方だと思います」
大学の同級生や先輩、後輩医師に支えられながら、医師の道を歩んできたと話す。それも、久保田先生の明るくて前向きな人柄が多くの人を惹き付けているのだろう。

アイクリニック自由が丘クリニック開業へ

アイクリニック自由が丘を開業した経緯についてお伺いした。
「院長を務めていた飯田橋眼科クリニックの理事長は、とても懐の深い先生で、のびのびと勤務させていただいていましたが、その時私は34歳で、自分自身の力でどこまで理想を実現できるか挑戦したいと思うようになっていました。その時アイクリニック自由が丘を開業してみないかと、やはり以前からお世話なっていた先生にお話をいただきました」
医師になって10年目~15年目でめまぐるしく環境が変わった久保田先生。
「思い立ったらすぐ行動に移さないと気がすまないんですね。もちろんつまずくこともあるんですけど、その目まぐるしく動いていた時期も今になれば必要なことだったと思います」と、笑顔で話す姿に、眼科医として充実している日々を感じさせる。

2006年にオープンし、地域に根差した医療を行うアイクリニック自由が丘。家族や友人の紹介で来る方もどんどん増えているそう。
「隣にコンタクトレンズの販売店があるので、はじめはコンタクトを作るために診察を受けに来る患者さんが多かったのですが、今は眼瞼のことで悩んでいる方や区検診で来られる方も増えてきました。あとは、カラーコンタクトやアイメイクなどのトラブルの方もいらっしゃいます。眼科医の中には目元のオシャレを全否定する先生もいますが、私は自分自身もオシャレをしたいので、否定はしたくないんです。その代わりに安心して目元のオシャレを楽しんでもらうために、カラコンと普通のコンタクトの違いを説明したり、メイク落としを含めたアイケアの重要性や、ドライアイや眼瞼のトラブルとの関わりなどについて詳しくお話しさせてもらったりしています」
アイクリニック自由が丘が多くの人に愛される理由は、スタッフにもある。
「スタッフが優しいから通っている患者さんも多いんですよ。すごく良いスタッフに恵まれています。
ウチの病院のモットーが“みんなに笑顔で帰ってもらう”というものなんです。もちろん、患者さんには笑顔で帰ってほしいと願うのですが、そのためには働いているスタッフも笑顔じゃないといけないと思います。ですから、スタッフみんなが笑顔で仕事ができる環境造りを心がけています。もちろん考え方が違う時はありますけど、その時はみんなが納得できるまでとことん話しあっています。そういう環境だからスタッフも長く働いてくれていると思います」

子どもがいるから仕事も頑張れる


プライベートについてもお話を伺った。
「37歳で長女を産んだのですが、その時に体重が急激に増えたことで、先天的な股関節の病気を持っていることがわかりました。術後待っていたのはつらいリハビリの日々でしたが、私の手術を機に脱サラして整体師兼トレーナーの資格を取ってくれた夫にサポートしてもらいながら筋トレをはじめました。
もともと手を抜くのが好きじゃない性格ではありましたが、筋トレをし出して1年半くらいたった時、気が付いたらシックスパックになっていたんです。(笑)どうせ筋トレするなら何か目標があったらよいだろうと、筋肉美を競う大会に多数出場しました。でも、今考えるとその頃は家族よりもトレーニングに比重を置きすぎていたかなと思います。ですから、昨年のフィットネスビキニの全日本大会で4位入賞できましたし、これでひとまず大会出場は一区切り、これからはしばらく家族に恩返しというか家族孝行したいと思って、最近ではハードな筋トレはお休みしています。でも、股関節の病気もあり筋トレはやめられないので、今は子どもたちに付き合ってもらい、一緒におうちでトレーニングをしています。
私の場合、子どもができたから仕事も頑張れるし、逆に仕事を頑張っているからおウチに帰った時、子どもたちの顔を見るのがよりうれしく感じるんだと思います。私が仕事を夜遅くまでしていることで、子供たちに寂しい思いをさせてしまっていることもあるかもしれません。でも土曜日などで学校がお休みの時など、子連れ出勤することもよくあり、ちょうど私が働く父の姿を見ていたように、子供たちも私の働く姿を見て、何か感じてくれているはずと信じています。10歳になる娘は、フィットネスビキニの選手兼眼科医になりたいと話しているんですよ(笑)仕事も、趣味も、勉強も、遊びも全力投球できる人間に育ってほしいなと思います」
最近は子どもと一緒に過ごす時間が増え、仕事だけでなくママ業も楽しんでいると話す。結婚や出産がキャリアに与える影響も多い女性にとって、久保田先生の働き方は参考になることも多い。

年齢関係なく、挑戦を


久保田 明子氏と弊社・代表 徳武

最後に、これから医師を目指す若者、後輩医師へ向けてのメッセージを伺った。
「今、私の姪や甥も医学部を目指し勉強中です。今の時代の医学部受験生は大変ですよね。実際に医者になり臨床の場に出ると、英語は必要ですが、物理や数Ⅲのようないわゆる医学部に入るためがむしゃらにやってきたザ・理数系科目の学問知識はほぼ必要ありません。医者にとって大切なのはそういう知識より人間性だと思います。将来を考え安定した職業ということで医師を希望する人は多いと思います。確かに医師は社会に出た時点でのお給料は高い方かもしれませんし、それも職業を決定する上で大切な要素かもしれません。でも、決してそれだけで選ばないでほしい。人を助ける仕事に就きたいという本来医師として持つべき目的を持った人が医師を目指すべきだと思います。それが困っている患者さんたちのためですし、それと同時に本人のためなんではないでしょうか。お金儲けが一番の目的なら、本当のところ、もっと近道となる別の仕事があると思いますよ。
めまぐるしい進歩を遂げている医学の世界についていくために、勤務医であろうが開業医であろうが医師は一生勉強が必要です。そうした中で、たくさんの分岐点に立っては悩むということを繰り返します。でも、自分の生き(行き)たいように生き(行き)れば良いと思います。私も眼科を選んだのに美容外科にも興味を持ち、やっぱり眼形成を極めたいと眼科一本に戻りました。その時々によって興味のあるものは変わります。でも、その度に思いっきりのめりこんでいいと思うんですよ。その分知識も人脈も広がるし、無駄なことなんてなく、すべて自分の財産になると思います。
特に女性は年齢などを気にしちゃうかもしれませんが、私は今でもチャンスがあれば医療ボランティアなどをされている医師団にも参加したいですし、留学だってしてみたい。なので、年齢を理由にしてやらないのはもったいない。子供が巣立ってからできることだってたくさんあります。自分がやりたいと思ったらいつだって迷わずに挑戦すべきだと思います」
自分の道を真っすぐと突き進み、チャンスを手にし、キャリアを築いてきた久保田先生の姿は、年齢や性別が原因で一歩前へ踏み出す勇気がもてない人の背中を押してくれるに違いない。

(取材・文/舟崎 泉美)

久保田 明子(アイクリニック自由が丘)

プロフィール

眼科専門医、医学博士
金沢医科大学/非常勤講師

1995年 金沢医科大学医学部医学科卒業
1995年 第89回医師国家試験合格
1995年 金沢医科大学研修医(眼科)
1997年 公立穴水総合病院勤務(眼科)
1998年 金沢医科大学病院勤務(眼科)
2000年 金沢医科大学医科部眼科学講座助手
2001年 日本眼科学会専門医認定
2004年 金沢医科大学より医学博士の学位授与
2004年 金沢医科大学退職
2004年 医療法人慶翔会 飯田橋眼科クリニック・院長
2005年 金沢医科大学医学部・非常勤講師
2006年 医療法人慶翔会 飯田橋眼科クリニック退職
2006年 アイクリニック自由が丘開院
現在に至る

新着スペシャルインタビュー

興味があるなら年齢は関係ない、いつだって挑戦すべき
久保田 明子氏 各分野で活躍されている医師を訪ねるスペシャルインタビュー。第32回は眼科専門医として、アイクリニック自由が丘・院長である久保田明子氏です。(以下本文より)私の場合、子どもがいるから頑張れるし、また仕事を頑張っているからこそ帰宅して子どもの顔を見るのがよりうれしく感じるんだと思います。学校のない日は院内で過ごさせることもあり、私が働く父の姿を見ていたように、私の姿を見て何か感じてくれていると信じています。(本文へ)

久保田 明子 氏/アイクリニック自由が丘

遠隔画像診断サービスの地位向上を目指して
煎本 正博氏 各分野で活躍されている医師を訪ねるスペシャルインタビュー。第31回は放射線診断専門医として、遠隔画像診断サービスを専門に行うイリモトメディカルを経営する煎本正博氏です。(以下、本文より)くだんのお役人からもお褒めをいただいたのですが、それよりも、読影をお引き受けした開業医の先生から“先生がいてくれるので、自信を持って診療できるようになった”という言葉をいただいたことは本当に嬉しく、自信にもなりました。(本文へ)

煎本 正博 氏/株式会社イリモトメディカル

常に新しいことに挑戦し、どこまでできるかを試す
松本 文昭氏 各分野で活躍されている医師を訪ねるスペシャルインタビュー。第30回は千葉大学医学部皮膚科・同形成外科にて研鑽を積んだ後、松本クリニックで皮膚科外科、皮膚腫瘍手術や美容外科手術を行う松本文昭氏です。(以下、本文より)今後は都内に分院開業を考えています。これまで皮膚科の専門分野や医院経営も勉強してきたわけです。自分がどこまでできるかに挑戦していきたい。そして最終的には地元の茨城にも社会貢献をしたい。(本文へ)

松本 文昭 氏/医療法人社団 健成会 松本クリニック院長

“志”を持った仲間を求む!実直な医師が挑む、消化器病センターの再構築
吉田正史氏 各分野で活躍されている医師を訪ねるスペシャルインタビュー。第29回は公益財団法人 東京都保健医療公社 豊島病院 眼科医長の武田淳史氏です。(以下、本文より)地域密着型で中小病院の新しいモデルになるべく活動を進める、社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス 東埼玉総合病院にて、消化器病センターの再構築に向けて奮闘する、消化器内科科長・内視鏡室室長の吉田正史先生にお話を伺う。(本文につづく)

吉田 正史 氏/東埼玉総合病院 消化器内科科長・内視鏡室室長

チャンスがあるなら、積極的に外へ出て学ぶべき
武田淳史氏 各分野で活躍されている医師を訪ねるスペシャルインタビュー。第28回は公益財団法人 東京都保健医療公社 豊島病院 眼科医長の武田淳史氏です。(以下、本文より)やはり医者といっても人間ですし、結婚し家庭を持つなど生活環境の変化に伴い、なかなか自分の思い通りのタイミングで自身の望む経験を積むことは難しくなってきます。例えば地方でも、海外でもいいですが、少しでもチャンスがあるなら、若いうちに外へ出て行くべきだと思います。チャンスは逃さない方がいいですね。(本文につづく)

武田 淳史 氏/公益財団法人 東京都保健医療公社 豊島病院 眼科医長

ICTが救急医療を変える! 企業家が語る医療の未来
夏井 淳一氏 いわゆる「患者のたらい回し」、緊急度の低い救急出動要請など、なにかとメディアでとりあげられる救急医療。ネガティブな話題も多く問題点も取り沙汰されるが、今、そんな救急医療が変わろうとしている。そこには、現場で働く人々の熱量はもちろん、それを支える重要な役割を担うICTが存在していた。今回は救急医療の現場で導入されはじめている、救急医療管制支援システムe-MATCHを構築した株式会社バーズ・ビュー 代表取締役社長 夏井淳一氏にお話を伺いました。(本文につづく)

夏井 淳一 氏/バーズ・ビュー株式会社 代表取締役社長

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