専門医の医師の求人/募集/転職 > スペシャルインタビュー >佐野 倫生 氏 浜松医科大学 整形外科 臨床教授
その静岡市立静岡病院に長年勤務し、現在、整形外科の診療部長も務めている佐野倫生先生に、これまでの経歴や医療への向き合い方など、若手医師の参考になるお話を伺った。
研究者に憧れて医師の道へ
子どもの頃に夢見た研究職への憧れから医師への道を歩みはじめた、佐野先生。医師になるまでの経緯を伺った。
「子どもの頃は、実験や研究する人に漠然と憧れていたんですよ。小学生の頃の自由研究も、カエルやフナの解剖をしていました。
高校生になり将来を考えた時に、研究がしたかったので医学部に進んだんです。ただ、僕の周りには両親も親戚も含めて医療関係で働く人がいなかったので、誰かに話を聞いて医療の道に進んだわけではなかったんですね。ですから、医学部に進んだ時もまだ漠然とした思いでした。
あえて動機のひとつを言えば、中学生のころの膝のケガですね。当時、家の近くにあった外科の開業医を受診したんです。切り傷を縫う程度のケガでしたが、出会った先生がとても良い先生だったんです。そこでも医師に憧れたというのはあります」
整形外科医を目指したきっかけについても、お聞きした。
「元々、整形外科医は目指しておらず、内分泌内科医になるつもりで国家試験を受けたんです。国家試験が終わるのが2月、実際に病院で働きはじめるのが4月だったので、一か月程の間が空いていたんです。その時に、すでに整形外科医の道へ進んでいた部活の先輩から『内科医はいつでもなれる。メスを持たない医師になると一生もメスを持つ選択ができなくなるから、一回、外科の道に進んでもいいんじゃないか』と言われました。
当時、浜松医大の整形外科には内分泌外科がありました。そこには准教授で、副甲状腺機能亢進症の治療を専門とする方が在籍されていたんですね。副甲状腺の手術を行なう整形外科医として名声のある方でした。その方の存在もあり、また好きな内分泌にも関わることができて、外科もできる。そんな訳で急遽、進路を整形外科にしました。
なにしろ我々の時代は、卒業と同時に自分の専門科を決める必要がある時代でしたから。当初はその流れに沿って、志望していた内科教室に履歴書を出し、そのまま内科医になるつもりでいたんですよ。ところが、お話した通り整形外科に鞍替えしたという訳です」
当時は漠然とした憧れだった医師が、今は一生としての仕事になった。浜松医大の整形外科に入局し、その後は大学の医局派遣を通して、静岡市内の中核病院での診療経験や、東京大学での基礎研究に取り組む期間を経て、平成19年からは現職の静岡市立静岡病院で働くことになる。
ヒューマンエラーを回避するためのチーム医療
現在は診療部長として、多くの若手を率いる佐野先生に、若手医師と仕事をするうえで感じていることをお伺いした。
「整形外科は、昔からよく軍隊に例えられたりするほど、上下関係が厳しいんですね。徒弟制度のように、師匠から弟子が学びます。手技や人格的な部分も含めて、技術を盗んでいくんです。ただ、その師匠となるべき人の中には、未だに昔ながらのやり方で指導をしている人もいます。教育的指導と言いつつ、言葉でのパワーハラスメントだけでなく、時にはそれ以上の行動をとる医師もいるんです。当時は、それを甘んじて受け入れる風潮もありましたが、若い人をはじめ、現在には馴染みません。
僕が理想とするのは、チーム医療です。後輩が現時点では出来てないことを、先輩がきちんと指導する。どうすればいいのかを理論も交えて教えること。若い人には、今できることを実践してもらいながら、まだ無理のある場面では先輩たちでやるよと。ちゃんと役割分担をする。院内だけでなく、地域医療として医療スタッフが一丸となってディスカッションをし、診療や手術を行うなかで患者さんに向き合っていくことが大事です」
現在、佐野先生率いる静岡病院の整形外科では、チーム医療をより進めている。実際にチーム医療を進めてみての良さはどこにあるのだろう。
「いくら経験を詰んで、その分野の頂点に立っていても、人間は必ず間違えます。それを避けられるのはチーム医療の良さですね。専門分野において経験が豊かなことは良いことです。一方で、それがいつの間にか独りよがりになり、その結果、間違えることもある。ですから、そもそも人間は間違いをおかすという認識をしっかり持って、ちゃんと色んな目で患者さんを診ていく必要があります。そのためにも上下の風通しを良くすることが大事ですね」
多くの若手医師を率いる佐野先生だが、後輩に指導する際にはどのような話をされているのか、若手医師のスキルアップについてのアドバイスをお聞きした。
「後輩によく言っているのは、困った時に、自分が目標とする先輩医師がどうするのかを考えてみること。すると大抵の場合、どう対応をするのがより良いかの判断が出来るということです。自身が目標とする医師を見つけ、その先生を身近で見て、その先生の行動を真似る。これは経験上、良い医師になる手っ取り早い方法だよと。よく若い先生方には伝えています。
その他としては、とにかくアンテナを高く張ることでしょうか。学会活動を通して広い視野を得ることとか。手術の治療技術を学びたい医師がいたら、その先生のところに行って一緒に手術に入ることですね。実際、僕も若い頃はよく手術見学に行きました。今も当科の若手医師はみんな見学に行ってます」
静岡市ならではの医療事情
特に静岡市は、後輩医師たちが医療を学べる環境が整っていると話す。
「静岡市には当院と、静岡赤十字病院、済生会病院、県立総合病院、県立こども病院の五つの大きい病院があるんですが、それぞれ得意分野が違うんですよ。なので、例えば、こども病院に手のケガの子が運ばれて来た時、こども病院は手を専門にしている先生がいないので、手を専門にしている僕が呼ばれて手術をすることがあります。
お互いに得意分野を補完しながらうまくやっているので、それぞれの医者同士が顔見知りで『お願いできる?』と、簡単に手術見学なども声をかけやすい環境です」
静岡市ならではの地域性は他にもあるのかを尋ねてみた。
「整形外科に関して言うと、例えば当院は浜松医大から医局派遣されています。済生会病院は名大系、日赤病院は慶応系、こども病院は東大系という風に、それぞれ大学が違います。大学が違うとやり方もかなり違いますよね。それをお互いに交流する中で知ることができるのは、すごく刺激になります。東京も、いろんな大学がありますが、東大系の方々が多いですよね。ですから、東大のやり方がメインになっています。僕も東大で研究していたので、それは感じるところがあります。そういう意味では、静岡市は異文化の交流の場ですね」
各病院、得意分野や系列の大学がそれぞれ違うがゆえに、交流も多く、それが学びにも繋がっている。教育の質の良さは結果的に医療の技術を上げ、患者さんにも良い結果をもたらすと言えそうだ。
子どもの頃に手術した患者さんが、大人になった今も通ってくれる
医師同士のやりとり以外にも、患者さんに接する時に心がけていることをお聞きした。
「医者になったばかりの頃、僕の上司である教授から、患者さんに接する時には患者さんを自分の家族と想定して接しなさいと指導を受けました。例えば、お年寄りなら自分の祖母や祖父、同年代なら兄弟と思って接するようにしろということですね。僕は、そのことをずっと自分の患者さんに接する際の基準にしています。
あともう一つ言われたのは、患者さんを名前で呼びなさいということですね。おじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶ看護師や医師もいますが、患者さんは、当然それぞれに人格をお持ちです。名前で呼びなさいと指導を受けたんです。それは、ずっと実践していますし、現在も後輩に指導する際に言っていますね」
医師を続けるうえで印象に残っている患者さんとのエピソードもお聞きした。
「静岡病院の前は、浜松医大病院にいたのですが、その時は悪性骨軟部腫瘍を専門にしていました。その当時、僕が診て手術をした小児悪性骨腫瘍の子たちは、みんな名前と顔を覚えています。
彼らのなかには今も『他の先生だと不安なんで……』と、僕を信頼してくれて浜松市あたりから新幹線や車で静岡病院まで通院して来る人もいます。現在、彼らは大人になって結婚して、子どもを作って、その子どもを連れて来てくれる。そんな姿を見られるのは嬉しいですね。
骨肉腫やユーイング肉腫などは5年生存率が低い病気ですが、当時僕のところで手術した子は5年生存率が9割以上です。彼らが成長して元気な顔を見せてくれた時に、整形外科の醍醐味というか、整形外科医になって良かったと感じます」
悪性骨腫瘍は長年再発のリスクが伴う病である。術後も、常に不安感を抱えている患者さんにとって信頼できる医師に長年診てもらえる安心感はとても大きいのではないだろうか。
多くの趣味を経験、研修医との会話も弾む
プライベートについてもお聞きした。
「基本的に、多趣味な人間なんですよ」と笑顔で話す佐野先生。研修医が来た時に、一時間ほど行なう整形外科の指導の際には、緊張をほぐすためアイスブレーキング的な会話をする。その際には趣味の話もするそうだが、若手医師が語る趣味のほとんどは、かつて佐野先生が経験したものばかりで、話が弾むという。
「緊張をほぐすために、研修医のみなさんには、自分が最近はまっていて人に勧めたいこと1~2分でアピールしてくださいと言うんです。その時に『釣りにはまってます』という子がいたら、僕も釣りを一時期していたことがあるので、『静岡だとこういう釣り場があってね』と話します。『トレイルランニングにはまってます』と言われると、僕も本格的にトレイルランニングしているわけじゃないけれど、山に登って歩くのが好きなので『静岡にはこういう山があるよ』という話もできます」
その他にも、車、熱帯魚の飼育など多くの趣味経験のある、佐野先生。また大学時代には、ダイビング部や、社交ダンス部にも入っていたと言い、非常に幅広い。
「研修医がこんなことをやっていますと言うと、大体は自分も経験があるので、何かしらのコメントができますね」と話す、佐野先生。フレンドリーで気さくなところも若手医師から慕われる理由であろう。
大学院4年の基礎研究は遠回りではない
佐野 倫生氏と弊社・代表 徳武
多くの若手医師を育て上げた今、医師としての今後の目標についてお伺いした。
「仕事に関しては、これ以上何かを求めてはいけないなと思うんですよ。というのは、50歳を過ぎて近くものが見えにくくなってきたんです。車を運転していても、トンネルに入って急に暗くなった時に前が見えにくいことがあります。体の反応も鈍くなっていると感じますね。
身体的な変化という意味では、医療に対してもこれ以上新たなことを求めるのはどうかと考えるようになりました。今は、自分ができること以上を求めず、自分ができないことは後輩に任せるようになりました。
また、話は変わりますが、医者の世界を見ていると、大学にいれば教授になる。病院なら病院長になるという出世欲や権力欲みたいなものがある方も少なからずいると思いますが、僕はあまりないんです。現在は診療部長の立場にいますが、これは以前、この病院にいらした理事長が僕を以前から買って下さっていて、お誘いを受ける形で、昨年就任しました。診療部長になると、相応の権限を与えられて管理職という立場になりますよね。その立場を、後輩たちのために使って、働きやすい環境を作る。成長できる道筋を手助けできる医師になれればいいなと思っています」
佐野先生に、若手医師に向けてのメッセージを伺った。
「僕は、博士号も持っているのですが、大学院には行っていないんですね。臨床から離れる形で、基礎の教室に飛び込み、そこで研究に4年かけて専念する生活をさせてもらえた時期がありました。その結果、大学院を修了したことと同じ評価となり、博士号も取れました。その4年間では多くのものを得ました。
研究活動をしていると、何時から何時までにこれをやって、何時から何時まではこれをするという風に、研究計画を一ヶ月単位の長いスパンで考えられる。大きな目標を立てられるんです。今日は何をやるという風に系統立てて、時間の配分を自分で決めて研究を積み重ねられます。計画を立てて、目標に向かって一歩ずつ進んでいくことができるんですね。それは臨床の場ではできない貴重な体験でした。
僕が研究を行なっていたのは東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターという特殊な遺伝子を研究する場所だったのですが、そこには理学部や薬学部出身の先生もいれば、医学部を出て基礎研究のみをしてきた先生もいるわけです。普段、自分が外科系の臨床の場で出会う方々とはまた異なる経歴を持つ先生方と出会うことができました。そういう様々なバックグラウンドを持つ研究者と触れ合って話をすると、新たな考え方に出会えたり、彼ら流の論文を読む時の癖のようなものが身についたり、論文を書く方法を学んだり、それまでの臨床の場と違った技術も身につきます。
そういう意味では、基礎研究を4年間やるというのは全く回り道じゃなくて、むしろ医者として成長する近道にもなり得るのだと思います。少しでも興味があったらその道へも迷わず進んでほしいと思っています」
研究者への漠然とした憧れから始まった医師としての道。日々、医療現場で臨床経験を積みつつ、時にはその場を離れて研究に没頭し、その経験や知見を現場に還元したことで今がある。一見まわり道に見えても、興味があれば先ずは進んでみる。それによって、これまで見えなかった新しい景色も見えるに違いないのだろう。
(取材・文/舟崎 泉美)
佐野 倫生(浜松医科大学 整形外科 臨床教授 静岡市立静岡病院 診療部長 整形外科主任科長)
プロフィール
昭和41年 静岡市生まれ
昭和59年 県立静岡高校卒業
平成2年 浜松医科大学卒業。浜松医科大学整形外科入局
平成5年 東京大学老人科にて骨代謝の基礎研究
平成9年 医学博士
平成11年 東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターにて基礎研究
平成12年 浜松医科大学助手
平成19年 静岡市立静岡病院整形外科主任科長
平成27年 浜松医科大学整形外科臨床教授
令和4年 静岡市立静岡病院診療部長
所属学会
中部日本整形災害外科学会評議員
静岡骨軟部腫瘍研究会世話人
静岡手外科マイクロサージャリー研究会世話人
日本整形外科学会会員
日本手外科学会会員
資格、他
日本整形外科学会専門医、日整会リウマチ専門医、日整会スポーツ専門医
臨床は、手の外科・末梢神経外科と骨軟部腫瘍が専門分野
静岡県国民健康保険診療報酬審査委員(専任委員、再審査委員兼務)
静岡地方裁判所 専門委員
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