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スペシャルインタビュー
夏井淳一

ICTが救急医療を変える! 企業家が語る医療の未来

夏井 淳一 氏

バーズ・ビュー株式会社 代表取締役社長

いわゆる「患者のたらい回し」、緊急度の低い救急出動要請など、なにかとメディアでとりあげられる救急医療。ネガティブな話題も多く問題点も取り沙汰されるが、今、そんな救急医療が変わろうとしている。そこには、現場で働く人々の熱量はもちろん、それを支える重要な役割を担うICTが存在していた。
今回は救急医療の現場で導入されはじめている、救急医療管制支援システムe-MATCHを構築した株式会社バーズ・ビュー 代表取締役社長 夏井淳一氏にお話を伺った。

1人の企業家と1人の医師の熱意が救急医療を変えようとしている

救急隊が最適な搬送先医療機関を選定する際に、意思決定支援の情報を提供するe-MATCH。
現在は、奈良県や福島県など5つの地域で導入されており、大量データの解析と意思決定の面で救急隊と医療機関、行政を大きくサポートをしている。このシステムの陰には、夏井氏率いるバーズ・ビューだけではなく、3人の医師の救急医療に対する熱い想いがあった。
「このシステムはヘルスインフォマティクスの専門家でもあったドクターが考えたものなんですね。その中心には救急医であった青木則明先生がいらっしゃいました。そして、青木先生と長い間二人三脚でやって来られた内科医の大田祥子先生、弊社の初代社長であり産婦人科医の清水健伸先生というチームでコンセプトをデザインしました。ただ、残念なことに、青木先生は3年前に、清水先生は昨年、急逝されて、現在は、大田先生とともに我々がその意思を引き継ぐ形でe-MATCHの普及に努めています」
コンソーシアムの中心であった青木先生は“救急医療の救世主”とも呼ばれ、日本の救急医療を良くするため、日夜、情熱を捧げていた。
「私は元エンジニアなので、医療の現場でエンジニアリングを役立てたいとずっと考えていたんです。その中で、医師と組むことの重要性を感じ、どの先生と組めばどんなことができるかを模索していたたんです。その時にお会いしたのが、当時テキサス大学にいた青木先生です。青木先生がICTに詳しかったことや、私自身も海外の医療情報システムを取り扱う仕事をしていたこともあり、すぐに馬が合いましたね。当時は互いに珍しいApple信者で、いつかApple製品で一緒にビジネスをしましょう。と、話していたものです。」
2人が出会ったのは約15年前。iPadを使い操作するe-MATCHは、そこからはじまった。しかし、夏井氏は病院前の救急医療に積極だったわけではない。
「最初は、救急について全く知らなかったんです。たらい回しなどが問題になっても、興味がなかったというのが正直なところですね。特に私の場合は、ITを通してICUやオペ室など病院の中の仕事をずっと行っており、病院前のことが医療か医療じゃないかはずっと考えていました。そのため、はじめは青木先生とかなり議論をしましたね。しかし、先生から何度も何度も救急医療についてのレクチャ―受け、これは誰かが立ちあがらないといけないと考えはじめたんですよ。先生は私にとっての人生の恩師であって、最大のビジネスパートナーでしたね。先生が私のマインドを変えなければ私は動きませんでしたからね」
青木先生が夏井氏の考えを変え、少しずつ歩み寄ってきた2人だが青木先生の突然の死により事態は一変する。
「青木先生が亡くなったのはシステム開発も佳境に入ったころでした。今、我々が使っている現行のバージョンが、できるかできないかのところですね。青木先生はやはりカリスマだったんですよ。でも、カリスマのいない製品って光らない。それで、一度は開発をやめようとしたんですよ。チームも解散した方が良いのではないか、という話も出ました。でも、その危機を救ったのは青木先生と一緒にやってきた全国の救急医の方々だったんですね。その先生方が、私を呼び戻してなんとか青木くんの想いを形にしてくれないかって、声を掛けてくれたんですよ。いまだにその先生方に応援してもらって事業が成り立っています」
こうして、1人の企業家と1人の医師の想いを紡ぎ合わしe-MATCHはできあがった。

救急医療の現場を“見える化”するe-MATCH


バーズ・ビュー株式会社のメンバー

2人の想いを搭載したe-MATCHとは一体どういうものであろうか。
「e-MATCHとは、簡単に言うと地域の救急医療を“見える化”するものです。ただ、私と青木先生が言っているのはただの“見える化”ではなく、救急医療が良くなっていく方に“見える化”することですね。青木先生は、研究者として、どのようなデータを提供したら人が行動変容を起こしていくか、を研究のテーマとしていました。それが、このシステムには組み込まれています」
そして、この“見える化”は、真の問題点を浮き彫りにしていくと。
「救急搬送での受入困難は、地域によっては毎日のようにあります。また、本来なら救急車を呼ぶ必要のない軽症患者の搬送も多くあります。その病院に専門医がいなくて診られないから別の病院に運ぶ転院搬送もありますね。転院搬送は再び救急車を呼ぶので、救急車が足りなくなり重症患者のところに救急車をまわせなくなる可能性があります。この中で私が言いたいのは、その裏に何が潜んでいるかわからない、ということです。受入困難が発生するには複雑な条件や要因が考えられますが、原因を絞り込むのは難しいのが現状です。そこを改善するためにもきちんと“見える化”する必要がありますね」
一面だけを見るのではなく鳥の目のように全体を俯瞰すべきであると考え、会社名には「バーズ・ビュー」という名がつけられている。俯瞰することにより、解決すべき問題点が見えてくる。
「iPadが発売された時に考えたのは、救急車での利用です。当時、データを入力するノートパソコンを積んでいたんですけど、やはり救急車では使いづらいんですよ。それでタブレットだったら使いやすいのではと、業界が一気に注目しました。何社か同じようなアプリケーションを開発して発表し、メディアにも取り上げられ業界も盛り上がりました。しかし、だた、iPadを持ち込むだけでは“見える化”とは言いません。我々は本物の“見える化”をしようということで、どこの病院に何人運ばれたかという当たり前のデータだけでなく、病院に行った患者がその後、どうなったかを追っていきます。細かいデータを集めることに意義があると考えています」
e-MATCHは、クラウドに蓄積したデータを解析し、意思決定や業務改善を支援する情報として提供する。提供された情報をもとに、どのようなことを行ったか患者の転帰を入力。さらにデータを蓄積していくことで、精度を高いものへと変えていく。これまではデータはあるが使えないものも多かった。しかし、e-MATCHはデータを価値のある使えるものへと変えていく。そして、救急隊と医療機関の適切なマッチングを行っていく。
「我々が提唱しているのが、患者を適切な時間で最適な施設に運ぶことです。それが重要であって、早い搬送だけが重要ではないんです。救急車は一分一秒を争うってコピーが頭に入ってますよね。あれは病態によるんですよ。一分一秒を争うよりも、適したところにいった方良い場合もあります」
そう答える夏井氏と青木先生が考えたe-MATCHシステムが目指すのは、
Right Time、Right Patients、Right Place
(最短時間で、治療を必要としている患者と、その体制が整っている医療機関が出会う)
e-MATCHは患者を救うためのシステムである。だから、現状では病院へ運ばれるまでの時間短縮ばかり取り沙汰されるが、e-MATCHを利用すれば、本来、重要視すべき社会復帰までの時間短縮へと近づく。

後世に受け継がれる青木先生の想い

平成24年に本格導入されたe-MATCH。それにより救急医療現場にも変化があった。
「最初にe-MATCHを導入した奈良県では、蓄積されたデータを話し合う会が開かれたこともあるんですよ。結構画期的ですよね。いろんな議論がされて、こういうデータも拾ってみたら、っていう意見や、こういうデータが出てるけどそこの消防さんどうなってるの? という意見も出るんですよ。もちろん我々に対して、もっと使いやすくしてほしい、という要望も入ってくるし、データの読み方を教えてほしい、という人もいる。使いやすくするのは専門なので我々が改良します。ただ、データの読み方にはデータサイエンティスト的な知識や、パブリックヘルスの知識がいるんですよ。そういった場合は、我々、バーズ・ビュー株式会社の契約先で、大田先生が代表理事を務める一般社団法人HIMAPにデータ解析を依頼しています。大田先生は今でも青木イズムを引き継いで、データ解析を行っていますね」
e-MATCHは青木先生の死後、新しく利用する人々の意思と、青木先生が築き上げてきた青木イズムが融合し、更なる進化を遂げていく。

バーズ・ビュー今後の展望は?


バーズ・ビュー株式会社 夏井氏と弊社・代表 徳武

最後にバーズ・ビューと夏井氏の今後の展望を伺ってみた。
「今、考えているのは、まず、災害ですね。災害大国である日本は地震や豪雨などの被害を受けることが多いですね。そういう時に、もう少しICTが役立たないかな、と考えています。普段活用している救急のシステムを災害側に拡張して、災害にも使えるICTは大きな社会問題をカバーできるんじゃないか、と思います。最終的には、救急・災害の情報インフラとして機能し、PHRなどと連携して蓄積したデータの提供や、逆に他システムの情報を参照し救急医療に生かすなど、地域包括ケアにPreHospitalを埋めるピースとして存在意義を示したいと考えています。また、救急で利用したテクノロジーや、構築した仕組みは在宅医療や遠隔医療にも応用可能ではないか、と考えています。
今はまだ国内に向けたサービス展開をしていますが、将来的には海外にも目を向けて行きたいと考えています。実は少しずつ始めていて、その1つはイスラエルです。医療イノベーション先進国であるこの国からは学ぶことが多く、実際に現地に足を運び、生の情報の収集や、人間関係の構築を始めています。また、ASEANの救急医療へのICTによる支援にも関心を持っています。既にラオスの救急医療の現場に定期的に足を運んでいて、その中で、ICTの有効性を実感しています。日本で培った技術や知識を使ったASEAN地区での支援は日本人としてやるべきことだと思います」
1人の企業家と1人の医師の出会いが、救急医療の現場を変えようとしている。そして、一緒にシステムを構築していく中で培った技術は、救急だけでなく、多くの医療分野へ広がりを見せている。e-MATCHは医療ICTが世界を変える第一歩と言えるのではないだろうか。

(取材・文/舟崎 泉美)

プロフィール

夏井 淳一(バーズ・ビュー株式会社 代表取締役社長)

1995年、山形大学大学院工学研究科電子情報工学専攻を修了。
大学院時代、病院を研究フィールドとして医師との共同研究に勤しむ。
20代は、医療機器メーカーのソフトウェアエンジニアとして、様々な機器に囲まれて過ごした。
30歳の時に、急性期医療ICTシステムの日本向けカスタマイズのためイスラエルに滞在したのをきっかけに医療ICTの世界に入る。
集中治療や麻酔、救急・災害という急性期医療ICTをスペシャリティーとして、現在、医療ICTベンチャーバーズ・ビュー株式会社のCEOとして活躍。
医療におけるイノベーションと故郷の喜多方ラーメンを愛し、日本とイスラエルのビジネスを活性化されるべく、日本イスラエルビジネス協会の理事に就任。
最近の興味は、ASEAN諸国への医療支援に対するICT活用であり、ラオスやカンボジアの医療現場へ足を運ぶ。

青木 則明

1991年 札幌医科大学卒業
1991年~1993年 国立東京第二病院(現:国立病院東京医療センター)総合診療研修医
1993年~1995年 北里大学病院 救命救急センター レジデント
1995年~1996年 同上 チーフレジデント
1996年~2000年 京都大学大学院 医学研究科 博士課程 医学博士(臨床疫学・決断科学)取得(2002年)
1997年~1999年 米国ベイラー医科大学 内科・情報技術部門 Research Fellow
1999年~2002年 同上 Assistant Professor
1999年~2001年 テキサス大学健康情報科学大学院 修士課程(School of Health Information Sciences)MS in Health Informatics取得(2001年)
2002年~2010年 テキサス大学健康情報科学大学院(School of Health Information Sciences)Assistant Professor
2003年~2014年 NPO法人ヘルスサービスR&Dセンター設立 理事長
2005年~2007年 マサチューセッツ大学 修士課程 MBA in Medical Management取得(2007年)
2006年~2008年 東京大学病院 UMINセンター 助教授・副センター長
2007年~2008年 東京大学大学院 医学系研究科 公共健康医学専攻 疫学保健学講座 医療コミュニケーション 准教授
2010年~2014年 テキサス大学生物情報学大学院(名称変更)(School of Biomedical Informatics)Assistant Professor
2014年 永眠

<認定など>
日本内科学会認定 総合内科専門医
日本救急医学会認定 救急科専門医
American College of Physician認定フェロー(FACP)
American College of Physician Executives認定
医療マネジメント専門医(CPE)

太田 祥子

1990年 札幌医科大学 医学部卒業
1990年 岡山大学第3内科(現腎・免疫・内分泌代謝内科学講座 入局)
1990年 川崎医科大学附属川崎病院 ローテート研修医開始
1991年 川崎医科大学附属川崎病院 ローテート研修医終了
1992年 中央病院内科 研修医開始
1993年 岡山中央病院内科 研修医終了
1993年 岡山大学付属病院 医員就任
1994年 岡山大学付属病院 医員退任
1994年 岡山中央病院診療部 レジデント開始(1998 年より医員)
1997年 吉備国際大学非常勤講師 就任
1999年 吉備国際大学非常勤講師 退任
1999年 岡山大学医学部第3内科 臨床講師就任
2000年 岡山大学医学部第3内科 臨床講師退任
2003年 NPO法人CHORD-Jディレクター
2005年 School of Biomedical Informatics, The University of Texas, Health Science, Center at Houston(修士課程)入学
2007年 School of Biomedical Informatics, The University of Texas, Health Science, Center at Houston(修士課程)卒業
2007年 Adjunct Associate Professor, School of Biomedical Informatics, The University of Texas, Health Science, Center at Houston
2009年 一般社団法人HIMA 代表理事
2010年 岡山中央病院診療部 退任

<認定など>
日本内科学会認定内科専門医(総合内科専門医)
日本糖尿病学会認定糖尿病専門医
日本透析医学会認定透析専門医
米国健康情報学修士(テキサス大学健康情報科学大学院)
TOC-ICO 認定ジョナ
日本MBTI協会認定ユーザ
米国内科学会上級会員(FACP)

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佐野 倫生 氏/浜松医科大学 整形外科 臨床教授

最期はご自宅で過ごすのが普通である街をつくりたい
壁谷 悠介氏 各分野で活躍されている医師を訪ねるスペシャルインタビュー。第37回は糖尿病専門医・指導医、総合内科専門医として、そうわクリニックを運営する壁谷悠介氏です。(以下、本文より)「在宅医療をやってみたいという気持ちがある先生、人が好きな先生、人と人との繋がりを大事にしてくれる先生は大歓迎です。医療の知識や技術は、働いてからでも学べますが、やはりマインドは変えられませんからね。「あの先生が来てくれるなら、楽しみだ」となるとお互いに楽しいですからね。(本文につづく)

壁谷 悠介 氏/そうわクリニック院長

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佐藤 理仁 氏/さとう埼玉リウマチクリニック院長

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小林 奈々 氏/医療法人めぐみ会 自由が丘メディカルプラザ副院長

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久保田 明子 氏/アイクリニック自由が丘

遠隔画像診断サービスの地位向上を目指して
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煎本 正博 氏/株式会社イリモトメディカル

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吉田 正史 氏/東埼玉総合病院 消化器内科科長・内視鏡室室長

チャンスがあるなら、積極的に外へ出て学ぶべき
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武田 淳史 氏/公益財団法人 東京都保健医療公社 豊島病院 眼科医長

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