専門医の医師の求人/募集/転職 > スペシャルインタビュー > 吉澤 利弘 氏 /NTT東日本関東病院 神経内科部長
内向きにならず
外へ出て行く専門医が居ても良い
吉澤 利弘 氏
NTT東日本関東病院 神経内科部長
吉澤先生は筑波大学講師、アメリカ合衆国ハーバード大学医学部神経生物学教室研究員、文部科学省研究振興局学術調査官などさまざまな経歴を持つ日本神経学会専門医である。医師になったきっかけからこれからの専門医の在り方までを聞く。
町医者をやっていた祖父の話を聞き医師を志す
「人と関わる仕事がしたいと思った。人助けがしたいと思いました」と話す吉澤先生。
吉澤先生の祖父は青森で開業医をしていた。吉澤先生は横浜で幼少期を過ごし、物心つく前に祖父は他界してしまい、実際に祖父の働く姿は見ていないという。
「田舎のお医者さんだから雪がたくさん降り積もっていても、患者さんのところに出掛けていって診療をしていたという話を家族から聞いていました。困っている人を助けるというのも大事だと思って……」町の人から愛される医師であった祖父の話を家族から聞き、困っている人を助けたいという思いから医師を目指した。
医学部に入ってからの進路選択
人を助けたいという強い思いから医師を志した吉澤先生。しかし、進路選択では公衆衛生学の道を選ぶか神経内科医の道を選ぶか大きく迷ったという。
「進路を決める時に自分の意思で決めるということはやっぱり大事だと思いますが、人との出会いもありますから。自分が感銘を受けた恩師がいると後を継いで学びたい、一緒にしたいという思いも出てきます。公衆衛生と神経内科の恩師は自分の感性とも合っており、非常に感銘を受けたんですよ」と語る。
神経内科医を目指すことに決めた最終的な理由とはなんだったのだろうか。
「公衆衛生学は予防医学の世界で自分の政策がたくさんの人に影響を及ぼして病気の疾病や予防を行う世の中全体を考える医療。神経内科は公衆衛生学とは対極で医療だけではどうにもならない問題も多く、個人の環境、家族背景、経済背景というものを考え、個々に合わせて診療を行い、個人の幸せを考える医療。当時はどちらも魅力的に感じました。しかし、自分の感性としては人と人との関係はやはり大事にしたいという気持ちが強かったのです。それが神経内科を選んだ一番の決め手でしたね」町医者の祖父の話を聞いて医師を目指した吉澤先生は、個人との関わりが非常に強い神経内科医への道を目指した。
初石病院での経験
筑波大学大学院博士課程医学研究科終了後、吉澤先生は千葉県柏市にある医療法人柏水会 初石病院にて勤務することになる。初石病院は精神科、神経科、老人内科の病院だ。特に認知症の患者が多いという。1年間を常勤で過ごし、その後3年間を非常勤として過ごした。
「今はどこの病院でも神経内科の医師が認知症を見ていますが、私が初石病院に行った1990年当時
は、認知症が神経内科の領域という考えは少なかったんです。
ですから、認知症の患者を当時から診ている初石病院は認知症の草分け的存在で、徘徊がひどい
患者さんやすごく興奮してしまう患者さんなど重症の患者さんも多くいらっしゃいましたね。
私も初石病院にて一生懸命勉強して認知症というものがどういうものか良くわかりました。
そのような患者さんたちをなんとか治したいという流れが今に繋がっています」と語る吉澤先生は、
認知症医療に対する取り組みを病院や地域の垣根を越えて積極的に行っている。
「医療は医学と違って一人ではできません。地域の繋がりや病院同士の繋がりが非常に大事。
最終的には患者さんがいかに安心して暮らせる環境を作ることが目標です。チーム一丸となって
これからの高齢化社会に向けてなんとかしていかなければ」と吉澤先生は言う。
ハーバード大学での脳研究、文部科学省での役人仕事、大学講師の経験にて見地を広げる
「アメリカでは全く違う分野で仕事をしたんですよ。分子生物学と脳を結びつける研究が、ちょうどこの頃に注目されだしたんです。世界の最先端の研究現場を体験できるというのは貴重な経験でした」吉澤先生の在籍していたデパートメントからは現在までにノーベル賞受賞者が三人も輩出されており、刺激を受ける現場であったという。
また、筑波大学講師時代には文部科学省の仕事も手伝っていた。当時は大学の講師半分、役人半分の勤務体制であったそう。
「文部科学省のお手伝いをしていて、日本の各研究分野のトップの人達が来て話を聞きまとめるという仕事をしていたんですよ。神経内科とは全く関係ない分野の仕事で感染症や免疫学の先生などいろいろな先生方のお話しを伺うことができました」ハーバード大学の経験、文部科学省での経験で最新の医療を知ることで見地が広がったという。
吉澤先生は世界の最先端で活躍しながら、そこでの学びを若い人達に伝えてゆく教育にも熱心である。筑波大学での講師も経験し、現在もNTT東日本関東病院にて研修医の管理委員長も務めている。自分の恩師が教育熱心な方で影響を受けてのことだ。
これからの専門医の在り方
弊社代表・徳武と吉澤先生
「内向きだけに活動するのではなく、外向きの指向で活動するというのが私のスタンスです。専門医といえども病院にだけいて仕事をするのではなく、絶えず外にも発信していくということを大事にしていますね。もちろん病院の中がおろそかになってはいけないのは当然ですが」という吉澤先生は、仕事の中で自分のことを神経内科の専門医として常に意識しているわけではないという。
「私は神経内科の専門医として仕事をしていますが、神経内科はどの分野にも関わっていける分野だと思います。もちろん大学の中で熱心に研究する先生も必要だと思いますが、これからの専門医の在り方としては、自分の専門領域を武器として他の分野や人にも積極的に関わり幅を広げていくというのも一つの方向性ではないかと思います。医療は一人ではできませんからね」と多くの世界を経験した吉澤先生は語る。広い視野や世界観を持った医師である。
(取材・文 舟崎 泉美)
吉澤 利弘 氏 (NTT東日本関東病院 神経内科部長)
プロフィール
1983年 | 筑波大学医学専門群卒業 |
筑波大学付属病院医院(研修医) | |
1985年 | 筑波大学付属病院神経内科(医員) |
1986年 | 筑波大学大学院博士課程医学研究科(神経内科) |
1990年 | 同終了 |
医療法人社団柏水会 初石病院内科医師 | |
1991年 | 筑波大学講師(臨床医学系神経内科) |
1993年 | アメリカ合衆国ハーバード大学医学部神経生物学教室研究員 |
1995年 | 筑波大学講師(臨床医学系神経内科) |
2000年 | 文部科学省研究振興局学術調査官(2002年まで併任) |
2006年 | NTT東日本関東病院神経内科部長 |
同研修管理委員会委員長(兼任) |
医学博士
日本神経学会専門医
日本内科学会認定医
所属学会
日本神経学会(2000年より日本神経学会評議員)
日本内科学会
日本神経治療学会
米国神経科学学会
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