専門医の医師の求人/募集/転職スペシャルインタビュー >斉藤 史郎 氏 / 独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 泌尿器科医長

スペシャルインタビュー
斉藤史郎

前立腺がん 小線源療法のリーダー
~日本で初めて、ヨウ素125シード線源
永久挿入による小線源治療を実施~

斉藤 史郎 氏
独立行政法人国立病院機構 東京医療センター
泌尿器科医長

泌尿器科医になるまで

医者として長い年月を積み重ねてきましたが、実は、大学受験時の私の第一希望は理工系でした。一浪していますが、医学部は、現役の時は一切受けず、一浪時も慶應義塾大学一校を受験しただけでした。第一希望にも通ったのですが、「斉藤家は親戚にも医者がいないので1人ぐらいなったら」という父親の声もあり、やってみようかなと思うに至りました。医者になったのは、そんな経緯からです。
泌尿器科を選んだのは、手術をして全身管理をする外科に進みたいと思ったからです。一般外科とで悩みましたが、最終的に、科の雰囲気、当時の泌尿器科トップの教授が国際的に活躍されていたこと、留学できたり、医学博士を取るまで指導を受けられるシステム、腎移植に対する興味から泌尿器科に決めました。父親の仕事の関係で、幼い頃、海外生活が長かったので、自分も将来、海外でしばらく過ごしてみたいという希望があり、留学できるチャンスの多い科がいいとも思いました。
私は、小学校時代、言葉で大変苦労しました。小学校入学前にインドに行き、インドで小学校に入学しました。3年半の滞在後、小学校2年時に日本に帰りました。いわゆる海外帰国子女の走りで、日本で受け入れる先生方は、日本語のちょっとおかしい私に非常に戸惑っていました。東京で1年、名古屋で1年を過ごした後、今度はアメリカに行きました。アメリカにはまだ日本人学校がない時代で、全く言葉がわからない中に一日中置かれ、慣れるまで辛かったです。アメリカで小学校を卒業し、中学校1年生の3ヵ月目まで滞在しました。日本には12月に帰国したので、日米の進学月の違いから、また小学校6年生に入り直すということも経験しました。

医者としての研究生活

慶應での助手等を経て、1988年から立川共済病院に勤務しました。その頃、週何日か夕方から時間をもらって、慶應の分子生物学教室に通い、1992年、「膀胱がんの遺伝子研究」で医学博士を取得しました。同年、アメリカのMemorial Sloan-Kettering Cancer Centerという、世界的に有名な、アメリカで一番古いがんセンターに留学しました。そこで、3年間、遺伝子治療の最先端研究に関わりました。仕事は順調に行き、論文を書くこともできました。

東京医療センターへ

帰国後、慶應で2年間、医局長を務めました。その間、入局時の教授が急に辞められ、10ヵ月の教授不在の大変な時を経て、次の教授が決まりました。2人の教授の最後と最初の医局長を務め、外に出ることを考え始めた頃、国立東京第二病院(現・東京医療センター)泌尿器科医長が定年で辞めるとのことで、後任を募集していました。その当時、国立病院というのは、医者にとっては非常に働きづらいと言われていて、国立東京第二病院で一度働いたことのある人は皆、行きたがらず断っていました。そんな中、私は自分が行くことに決めました。小線源の領域で第一人者の土器屋卓志先生が、当時、そこの放射線科医長で、口腔内でイリジウムワイヤーを使う小線源をやっていると聞いていたので、もしかしたら、それが前立腺でできるのではないかという興味もありました。実は、私が生まれた病院でもありました。
40歳で医長として着任し、医療は患者様サービスだという意識が科に浸透していくよう、色々と頑張りました。国立の組織改編の過渡期だったこともあり、病院全体が従来のあり方を改善しようという雰囲気になり、少しずつですが、随分と良くなりました。病院名は2回も変わり、1998年国立病院東京医療センター、2004年独立行政法人国立病院機構東京医療センターとなりました。1997年4月に着任し、その年の12月には、土器屋先生と一緒にイリジウムを使う小線源も始めることができました。その後5年間で約150例の治療を行いました。

ヨウ素125シード線源永久挿入小線源初治療までの苦労と1000例祝賀会

2003年9月、日本で初めてのヨウ素125シード線源永久挿入による小線源療法を当院で実施しました。TBSの報道番組「ニュースの森」で、手術の様子と、2日後に退院するまでの患者様の様子が報道されました。
イリジウムでの小線源療法が、強い放射線を出す線源を一時的に前立腺内に挿入し、退院前に抜去するのに対し、この治療法は、長さ4.5ミリ、直径0.8ミリのチタン製カプセル内に、弱い放射線を出す線源、ヨウ素125を密封したものを、40~100個、前立腺内に挿入し、永久的に体内に留置する方法です。コンピュータ技術の進歩により、線源を置く位置や線源数が事前に計算され、画像を見ながら正確に挿入でき、早期の限局性前立腺がんには大変効果的です。
約2時間という短い治療時間、性機能・排尿機能の高い維持率、合併症の少なさ等から、アメリカではその10年前から脚光を浴び始めた治療です。イリジウムよりも利点が多く、行いたかったのですが、当時の日本では、放射線を身体から出している人が外を歩き回ることに対する法律がなくてできませんでした。しかし、実際のところは、お金のある日本人で、アメリカに行ってヨウ素125シード線源による小線源治療をしてもらい、日本国内を歩いている人が沢山いる状況でした。
土器屋先生等もやりたがっていて、放射線科の先生方を中心に、泌尿器科医も参加し、日本アイソトープ協会でワーキンググル―プを作って、科学技術庁と厚生省(2001年より文部科学省と厚生労働省)にかけあい、5年かけて、2003年7月にようやく認可が下りました。
施設認定を受けた後、ガイドラインに乗っ取ってやることが前提の認可です。
通常、新しい治療は大学病院が最初に行うことが多いのですが、その時は、
私のところでやらせようという雰囲気が学会の中にありました。
それまでイリジウムを使った症例を全国で一番多く行っていて、データもそれ
なりに出していたという実績への評価と、放射線治療に対する国の厳しい目に
対し、当院は国立の施設でもあるためでした。
2011年8月現在、この小線源療法は全国で約18000例の症例があり、そのうち
約1600例を当院で行っています。
ちょうど1000例を行った時には、関係スタッフ全員で祝賀会をやりました。
余興で、若い先生に患者様1000人の住所を全部調べてもらい、日本地図に
描いたら、4県を除く全ての都道府県から来ていました。それを知り、感慨
深いものがありました。

世界に通用するデータ作り、日々の外科医業務

現在、小線源治療の優れたデータを研究会で集めつつあり、将来、世界に通用するデータとしてまとめ、公表しようと頑張っています。現在認可を受けている109施設中、約57施設の先生方がネットを通じて多数例を統計センターに入力し、プロがデータを解析します。全国の半数以上の症例の、患者様背景、病気の状態、治療内容、副作用、再発率などを、治療後8年追っていきます。結果をまとめて、次世代がより良い治療をできるようにしていこうと思っています。
日々の仕事としては、回診、外来、手術、小線源治療、書類処理、講演、学会と、寝る間を惜しんで働いています。泌尿器科の外来収益は全25科中2番目です。病院全体の外来収益の5%を超えると一流の泌尿器科と言われる中、10%程度の収益を上げています。また、まだレールには乗っていませんが、東京医療センターの敷地内に、外部資金による「前立腺癌総合医療センター」を建物ごと作ろうという話も出ています。

語学力の重要性

斉藤史郎

泌尿器科は手術が主要な外科なので、手術の技術は鍛錬すべきですし、自分で手術した患者様は全身管理ができる泌尿器科医であるべきだと思います。それから、日本の医療は、世界のトップレベルではないことがまだ沢山ありますので、世界に目を向けて学んで行ってほしいです。私は昔、言葉で苦労したことが今になって役に立ち、海外の講演も多く行っています。日本の医学研究も進んできていて、日本の先生方は海外の学会でも沢山発表されていますし、非常に良い演題が出ています。しかし、原稿を読んで発表はできるものの、質疑応答が上手にできないケースも多く見られ、結局、日本人は英語が苦手というレッテルを貼られ、ポスターに回されてしまうことが多いのです。そうならない為にも、ぜひ国際的に通用するような語学力を身に付けていって頂きたいと思うのです。

(取材・文:うえだまゆ)
(2011年8月)


斉藤 史郎 氏(独立行政法人国立病院機構 東京医療センター 泌尿器科 医長)

プロフィール

  • 1982年3月 慶應義塾大学医学部卒業 
  • 1984年5月 慶應義塾大学医学部助手
  • 1986年5月 琉球大学医学部助手
  • 1987年6月 慶應義塾大学医学部助手、泌尿器科チーフレジデント
  • 1988年6月 立川共済病院医員
  • 1992年2月 米国Memorial Sloan-Kettering Cancer Center研究員
  • 1995年1月 慶應義塾大学医学部助手
  • 1997年3月 慶應義塾大学医学部講師
  • 1997年4月 国立病院機構東京医療センター泌尿器科医長
  • 現在、同院外来診療部長

東京医療保健大学大学院臨床教授
慶應義塾大学医学部非常勤講師
琉球大学医学部非常勤講師  兼任

医学博士、日本泌尿器科学会専門医・指導医、日本がん治療認定医

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