専門医の医師の求人/募集/転職スペシャルインタビュー >渡辺 とよ子 氏 / 東京都立墨東病院 周産期センター・新生児科 責任部長

スペシャルインタビュー
渡辺とよ子

周産期・新生児医療の第一人者として活躍

渡辺 とよ子 氏
東京都立墨東病院 周産期センター・新生児科
責任部長

新生児医療知識の普及と研究活動

私の今の仕事は周産期センターの管理運営が主ですが、週3日フォローアップ外来に出るほか、新生児医療とは何かを知ってもらう為、また、後進育成の為に、大学で講義をしたり、東京都主催の人材育成の研修会などで講義もしています。
周産期センター・新生児科では、産まれたばかりの赤ちゃんの命に関わる病気や緊急治療を必要とする状況に対応しています。早産および低出生体重児の呼吸循環と栄養管理、重症仮死分娩新生児の蘇生と管理、黄疸や痙攣など新生児独自の疾患、染色体異常や先天性疾患などです。
脳性まひ、先天異常など、退院後も人工呼吸器などによる在宅医療を継続しなければならないケースもあり、看護する家族に対する専門家のサポートが必須ですが、乳児の在宅医療支援は非常に遅れて
いるのが現状です。現在、墨東病院を中心に、東京都福祉保健局とNICU
(新生児集中治療室)入院児在宅支援モデル事業というのを行い、家族を
社会的に孤立させない為に、墨東病院、地域の様々な医療従事者、療育機
関などがいかに連携して支援すればよいかを検証しています。
新生児医療の分野では、全国の周産期センターNICUの医師と共に墨東病院
NICUも参加して、NRN(Neonatal Research Network)として共同研究を
行っていますが、その研究成果は海外からも高く評価されています。
最近、全国の新生児医療仲間の協力を得て「小児科臨床ピクシス16 新生
児医療」(中山書店)という本を作りました。私達の仕事の集大成だと
思っています。

育児支援活動

1994年、当時勤務していた都立築地産院が5年後、都立墨東病院にNICUを作って移転することになりました。その準備が始まる頃、突然、上司が東京女子医科大学の助教授に引き抜かれ、全くの予想外に部長となり、責任者となりました。
上司の仕事だった退院後の子供達のフォローアップ検診を受け持つようになり、患者様への見方が、それまでの治療に専念していた思考から急速に変わりました。1000gにも満たない程小さく産まれたお子様の成長過程には様々な苦労があり、それらをお母様達と共有したことで、もっとお母様達をサポートしなければいけないという気持ちになったのです。
お母様達から色々と学び、1996年、一緒に「育自(児)サポートネットワーク」を立ち上げました。その時から今に至るまで、毎月第4金曜日の午前中にお母様達とお子様達とが集まってお話をする「おたまじゃくしの会」の開催、年3回の機関誌「おたまじゃくし」の発行、テーマを決めた分科会の開催などをしてきました。分科会は、例えば、同様のハンディを持っているお子様達だけを集め、その先輩や専門家もお呼びして講演会と懇親会を開き、お母様同士話せる場を作ったりします。私にとっては、あって当たり前だと思うようなことですが、なかなか他ではやっていないようで、テレビや新聞がよく取材に来ます。

麻酔科から新生児科へ

身内に医者がいた訳でもないのに、物心ついた時からずっと医者になると決めていました。身体の中のことがわかる人になりたいという好奇心からです。医学部に入る頃には心への興味から精神科医を考えていましたが、大学時代、身近に統合性失調症を発症した人を体験し、たった1人の友達も受け止め切れない自分に精神科医は無理だと断念しました。その後、麻酔科医の道を選びました。精神科とは対極にあると感じたことや、医者となるからには自分の知識や技術を生かして救命したいという思いがあったからです。
札幌医科大学卒業後、同大で1年間、小児科研修を受け、同級生だった主人と結婚して東京に移り、国立小児病院の新生児科(NICU)を経て、筑波大学付属病院に行きました。主人も麻酔科医として同院に勤務していましたが、3年目を迎える頃、産科への転科を真剣に考えていると打ち明けられました。元々産科への興味も持ちつつ麻酔科に行ったので、産科医療に携わりたい気持ちを抑えきれなくなったのです。当時、科を変わるのはよっぽどの変わり者か落ちこぼれのすることだと言われましたが、主人の意志は固く、それならば麻酔科できちんと資格を取ってから産科に移りなさいと先輩からアドバイスを受けました。当時、専門医というのは非常に珍しいものでしたが、そのような中で、私も主人と一緒に麻酔科の専門医、指導医の資格を取りました。私は仕事に面白さとやりがいをとても感じていました。子供2人を生んでいたので大変でしたが、保育園、保育ママさんを利用して、主人と一緒に、子育てと仕事を両立させました。

その後、私自身も転科を計りましたが、麻酔専門医を持っていたことが大きな評価となり、日本の未熟児・新生児医療の草分け的存在だった都立築地産院のNICUに就職しました。普通、NICUは、わずかな睡眠時間で数日連続勤務、年間で数日程度の休みしか取れない等、過酷でボロボロになるのが常識なのですが、築地産院のNICUは常勤が7人で当直は週に1回のみ、育児と両立するという魅力もあり、NICUで働くことにしたのです。同時期、国立小児病院NICUでは常勤は2人でした。関連病院であった東大の医局からは、築地産院に行けば子供が産めるからと、女性医師が交替で来ては産休を取っていました。私自身も築地産院に来て、更に子供2人を出産しました。子供を持つ女性が多い職場ではありますが、築地産院NICUの時代から現在に至るまで、新生児医療における臨床研究や治療には優れた成績を収めています。

女性医師のキャリア継続には子育て支援システムが必要

NICUで働く方は女性が多いです。また、訴訟の多い産科を男性が避けるようになって、産科医も今は女性が圧倒的多数です。ただ、女性は30代前半で結婚や子育ての為、非常に多くの方が常勤から抜けていきます。専門性のある仕事なので、外来のアルバイトだけでは知識が更新されません。現場に足を留めてさえいれば、子供はすぐ大きくなるので戻ることができます。私が管理職として子育て中の女性医師の為に今後ぜひやってみたいのは、ワークシェアリングです。専門医を取得した、ある程度、実力のある子育て中の中堅医師が2人いれば、常勤1人分の仕事を2人で組んで、しっかりとコミュニケーションを取りながら、1人週3、4日勤務してもらう働き方です。東京都は、色々な形態を提案して、実際にやる人がいればやってみることが可能なので、なんとか仕事を続けられるよう応援したいです。
墨東病院には、3歳児までの院内保育園があります。現在、新生児科の常勤は10人、3人が院内保育園を使って子供を育てながら常勤を続けています。敷地内なので、合間を縫っての授乳が可能で、1人は当直もしながら完全母乳で育てました。これはとても素晴らしいことです。このように、子供を持つ女性医師が仕事を続けるには、絶対に子育てをサポートするシステムが必要です。墨東の新生児科は、20年前から、当直明け翌日は1日フリー、土日に当直するとウィークデーに1日休みを入れる1直2勤務制にしています。女性が働きやすいところは男性も働きやすいところだと思います。

好奇心のあるところへ

渡辺とよ子

周産期センターには若いドクターが沢山研修に来ますが、モチベーションの低い方も見られます。若いドクターには、好奇心を持ってやっていけるところを選んでほしいです。なかなか自分が本当にしたいことを見極めるのは難しいとも思います。私は、麻酔科的なところが売りでしたが、今はお母様達の心のケアや家族支援のような仕事へとすっかり変わってきました。
好奇心を持ってやれることを一生懸命やっていると、いつの間にか、本当にやりたいことに辿り着けるのだと思うのです。

(取材・文:うえだまゆ)
(2011年7月)


渡辺 とよ子 氏(東京都立墨東病院 周産期センター・新生児科 責任部長)

プロフィール

  • 1975年 札幌医科大学医学部卒業 同大学にて小児科一般研修1年
  • 1976年4月 国立小児病院新生児科(NICU)研修医6ヶ月
  • 1976年10月より1982年3月まで 筑波大学付属病院 麻酔救急部医員(レジデント)
  • 1982年4月より1999年5月まで 都立築地産院小児科(NICU)
  • 1988年 小児科医長、1994年小児科部長
  • 1999年6月より現職  都立墨東病院 周産期センター・新生児科部長

資格:医師免許、ECFMG、麻酔標榜医、麻酔専門医、周産期新生児暫定指導医
学会等役員:日本未熟児新生児学会 理事、ハイリスク新生児フォローアップ研究会 幹事
大学講師:首都大学東京看護学科、東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科、慶応義塾大学看護学科
著書:「小児科臨床ピクシス16 新生児医療」(中山書店)専門編集 他多数

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佐藤 理仁 氏/さとう埼玉リウマチクリニック院長

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小川 奈津希 氏/ジェネラルクリニック院長

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久保田 明子 氏/アイクリニック自由が丘

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