専門医の医師の求人/募集/転職 > スペシャルインタビュー > 渡部 文昭 氏 /自治医科大学附属さいたま医療センター 一般・消化器外科 助教
己の技術を高め伝承していく、外科医は“職人”
渡部 文昭 氏
自治医科大学附属さいたま医療センター
一般・消化器外科 助教
大宮駅から車で10分。さいたま市の医療へ貢献しながら、更なる知識や技術を習得したいという地方の医師を受け入れ、先の東日本大震災の際に被災地へ医師や看護師を送り込むなど、地域医療と僻地医療の充実を目的として設立された自治医科大学ならではの活動を行う、自治医科大学附属さいたま医療センター。同センターの肝胆膵外科の助教として、臨床現場の第一線でご活躍されている渡部文昭氏にお話しを伺う。
「正直、叔父が小児科医だったということ以外、明確な理由はなかったかもしれません。中学高校と進路を考え出した時に、漠然と医者になりたいと思った」
そう医師を志した当時を振り返る渡部先生。しかしながら、医師という努力と忍耐を要する道をひた走るには、相当な熱意がないと務まらないはずだ。その熱意の根源を探ってみたい。
強固な思いに培われた自信
「内科と外科と迷った時に、元々サッカーをやっていたので、手技のある方がいいかなと思ったのが一番大きかったですね。体を動かす外科医の方が自分には向いていると思ったんです。そして外科医は技術職。“職人”であるところに惹かれて外科の道を選びました」
出身である熊本県にある熊本大学医学部を卒業後、熊本大学医学部附属病院の第二外科に入局する。そこで2年の経験を積んだ後、済生会熊本病院へと派遣された。症例も多く、満足のいく環境ではあったが、技術向上のために新天地を目指したいという更なる思いに駆り立てられていたところ、現在、がん・感染症センター都立駒込病院で肝胆膵外科医長を務める本田五郎氏に誘われ、修行の場を北九州の小倉記念病院へと移す。そして、本田氏らと共に東京の地を目指し、その後5年間勤め上げた、がん・感染症センター都立駒込病院へと辿り着き、恵まれた環境の中で腕を磨いていった。
「縁とか運はすごく大事だと思います」と語る渡部先生。しかし、それらに身を委ねるばかりではなく、技術を向上させたいという強い思いが、良い縁や運を自ら手繰り寄せて来たといったところだろう。その後再び縁あって、現在の上司にあたる自治医科大学附属さいたま医療センター肝胆膵外科の野田弘志氏から「肝胆膵を担う医師が少ないので手伝ってくれないか」と誘われ、現在に至る。
「肝胆膵領域は他の消化器外科に比べると症例はあまり多くはありません。しかしその中で手術を見て学んで実践しないと上達しません。昨年東北大学から来られた力山敏樹教授や、センターを紹介して下さった野田弘志先生といった手術の上手い上司の下で経験が積めるのは、非常に勉強にもなるし有難いことだと思っています」
手術が上手くなりたいという強固な思いは、それを叶えるべく場所へと導いてくれた。求めるものが明確であれば、おのずと道が開けてゆく。「高難度な症例も含めてかなり経験していると思います」と、自負する言葉がなんとも頼もしい。
向上心と患者さんの喜びがモチベーション
現在36歳。月曜(手術)、火曜(午前・内視鏡/午後・外来)、水曜(手術)、木曜(研究日)、金曜(手術)というルーティンで医療と向き合う。肝胆膵チームに配属された若手の面倒を見ながら日々症例も回って来るという、外科医として脂が乗った状態だ。体力的にも精神的にも重労働であるというイメージの外科医だが、今後の目標とそれらに対するモチベーションを伺った。
「現在の第一の目標は肝胆膵外科高度技能専門医の取得です。その後、研究をして学位も取らなければならないと思っています」
多忙を極める中、どのタイミングで研究に取り組むかというのは悩みどころのようだが、技術に限らず研究との両面から医療と向き合う、抜け目ない外科医を目指すという向上心に満ち溢れている。そして日々のモチベーションは、やはり患者さんの喜びだという。
「症例ごとに適応をきちんと見極めて、医師同士ディスカッションして手術方針を決定し、合併症がないように根治的切除を行う。そして患者さんが元気に退院して行くのが一番のモチベーションに繋がっていると思います」
「やる気が大事!」後輩たちへの熱いメッセージ
渡部先生が学んで来た環境はかつての医局制度であり、携わりたい診療科を選択の上での研修が可能だった。現在は後輩を指導する立場にもなり、2004年から導入されたスーパーローテート方式で学ぶ今の後輩たちとの間に何か違いは感じるのだろうか。
「僕は外科医になりたくて外科に入りました。でも今の人たちは内科をやりたくても外科も回るなどして大変だなと思います。特に膵がんの手術なんかは7時間と長時間立ちっぱなしですし、外科医は体力的にもきついです。でも結局のところ、医師というものに対する“やる気”が重要なのだと思います。やる気があるかどうかは伝わってくるので、
やる気のある人にはどんどん教えたいという気持ちになります」
制度が変わっても、根本的に必要とされるのは取り組む姿勢ということか。
渡部先生の思いは簡潔で迷いがない。
「東北大学から力山先生が教授として就任し、肝胆膵の症例は更に増えていて、僕も一生懸命
頑張っています。力山教授の下、肝胆膵領域を勉強したい方はぜひお待ちしています!」と、
若手医師への熱いメッセージも頂いた。加えて、「今はここを離れることは考えられませんね」
と強い口調で語る。現在の職場は、渡部先生の有り余る向上心を満たすのに十分な環境なのだ
ろう。その表情からは置かれた立場や環境への充足感が覗える。
職人気質な一貫した思い
弊社代表・徳武と渡部先生
「ずっと手術が上手くなりたいと思って来ました。まだ自分がやったことのない手術もありますから、それらに取り組みたい気持ちもあります。でも今後は後輩たちにも教えていかなければならないという責任もあると思っています」
インタビューを重ねる中、渡部先生の言葉から発せられるのは、今も尚“手術が上手くなりたい”という一貫した思いだ。非常にシンプルだが、我々患者側になり得る者にとっては、体にメスを入れる外科医には一番に持っていてもらいたい気持ちだ。その気持ちは後進育成の未来へと続いている。
休日には「サッカーは体力的にきついので、最近はフットサルをやっています」と、やはり体を動かすことが好きなご様子。「インタビューには慣れていないもので……」と、時々はにかむ様な笑顔を見せながらお話くださった。
日々己の技術を磨く事に注力しながら、後進育成への使命にも燃え始めた渡部先生。医師の道をひた走る熱意の根源は、職人気質なこころに宿る肝胆膵領域に対するシンプルな探究心だと言える。自身の置かれた立場や環境に感謝しながら、技術向上とその伝承へと邁進する渡部先生は、まさに“職人”と呼ぶに相応しい外科医だ。
(取材・文 安海麻理子)
渡部 文昭 氏 (自治医科大学附属さいたま医療センター 一般・消化器外科 助教)
プロフィール
2003年 | 熊本大学医学部卒業 |
2003年 | 熊本大学医学部附属病院 第二外科 研修医 |
2004年 | 社会福祉法人 恩賜財団 済生会熊本病院 研修医 |
2005年 | 財団法人 平成紫川会 小倉記念病院 外科医員 |
2006年 | がん・感染症センター都立駒込病院 シニアレジデント |
2010年 | 同センター 非常勤 |
2011年 | 自治医科大学附属さいたま医療センター シニアレジデント |
2013年 | 同センター 助教 |
外科学会 専門医
消化器外科学会 専門医
日本肝臓学会 専門医
がん治療認定医機構 認定医
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