専門医の医師の求人/募集/転職 > スペシャルインタビュー >仲泊 聡 氏 / 国立障害者リハビリテーションセンター 第二診療部長
臨床と研究の両立
好きなことへの直向きさが人の縁をつなぐ
仲泊 聡 氏
国立障害者リハビリテーションセンター
第二診療部長
今回は眼科医でありながら、脳神経、心理学、視覚などを総合的に研究する活動を精力的に行い、また国家公務員として国内外の視覚障がい者支援に関連するプロジェクトにて活躍されている仲泊聡先生に話を聞く。
埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンターとは、障害のある方々や障害を持つ恐れのある方々を対象に診断・治療と医学的リハビリテーションを総合的に提供している中核機関である。
センターでの役割と最近の活動を教えて下さい
「従来は訓練部の部長として一般的な眼科の臨床、視覚障害をお持ちの方へのリハビリが中心でしたが、2年前の組織改編以降、眼や耳など、主に感覚器官全般の診療を行う診療部の責任者として、マネジメントが大きな役割となっています」
「また、最近では国家公務員としてJICAの国際貢献プロジェクト『コロンビアでの地雷被災者を中心とした障害者総合リハビリテ-ション体制強化プロジェクト』に厚労省の技官という立場で参加していました」
生涯の師匠との出会い
「最初、大学では心理学を専攻していました。人の心と脳の関係に興味があって。その後、医学部の学生時代にバイオと出会い、実験や研究に没頭していました。その頃たまたま眼科の大学院の先輩が隣で実験をやっていて、臨床でも研究できるなんて羨ましいと思い眼科に進みました」
ところが、いざ医者になってみると、実際は体育会系の球拾いのような下積みが待っていた。望んでいた臨床と実験(研究)を好きなだけやれる立場ではなかった。
そんな時に出会ったのが、生涯の師と仰ぐ故北原健二先生(東京慈恵会医科大学名誉教授)。眼科医でありながら、心理物理学を専攻していて色覚の専門家でもあった。
「先生は私が研究をしたがっていることをよく理解してくださっていて、だからこそ『とにかく今は臨床で白内障の手術ができるようなりなさい』とか、私の将来を考えて、当時はあえて試験管を振らせまいとしてくれました」
臨床と研究の両立
そして数年して試験管を振ることを忘れた頃、先生は大脳の研究を薦めてくれた。
「大脳性色覚異常色の原因がどこにあって、脳の中を色情報がどういう風に流れているかといったことを、先生の指導を受けながらやっていました」
「例えば、脳梗塞とか脳出血で色が見えなくなります。これは目や光の問題ではなく、脳のなかの情報処理の問題です。そういった研究を薦められましたが、『自分には難しすぎる、だけど北原先生は大好きだったので、できなくてもやろう』と始めたのがスタートです」
そこから大学病院の眼科では脳損傷の患者を半ば専門で診るようになった。それからもっと研究しやすい病院を探して神奈川リハビリテーション病院へ移った。
「私としては視覚障害を診に行くというよりは、脳損傷を研究するために行きましたね」
そこが慈恵医大からの派遣先だったことに加え、ファンクショナルMRIのマシンがあると聞いたことも移るきっかけになった。1995年のことだ。その頃までは、脳のどこで色の情報処理が行われているかを調べる研究は、動物実験や亡くなった方々の解剖をして調べたものがほとんどだった。健常者の脳機能をMRIで調べるという新技術は、この研究にとって画期的な道具だと直感した。
しかし当初はMRIの精度もそれほど良くなく、思うようなデータを集められなかった。1998年にマシンが新しくなり、説得力のあるデータが出始めてから更に、研究に没頭していった。
義務と大好きがつながった「人工視覚」
研究は楽しかったが、かたや診療では眼が見えない人がいっぱい来ていた。その病院では脳損傷というよりは、緑内障や網膜色素変性症などの目の病気の患者が多かった。
「脳の研究をやっていると、だんだんとジレンマを感じるようになりました。というのは、『医者の研究というのはいつかは世の役に立たないといけない』と思っていたから」
「ですから本音を言えば、もともとそこに行ったのは視覚障がいを治すというよりは、脳の研究がやりたかったからです。しかしそのためには、そちらも診なければならない。やっぱり毎日いると、心の中で自分に嘘をつけないという気持ちが出てくる。それで『なんとしなければ…』という気持ちが5年もすれば湧いてくるわけです。そんな時に、八木透先生が研究していた『人工視覚』の存在を知ったんです」
「これは面白いかもしれないって思いました」
それから色々勉強して、MRIの方も人工視覚を意識した実験になった。
つまり頭の中に情報を送り込むためには、今見えてる絵がどのように見えているかをモニターできなければ、頭の中をどう刺激していいかわからないという発想に至った。
「その時、この今までやっていた脳の研究と、いつかはやらねばと思っていた視覚障害の研究がつながりました。2003年の頃です」
それから後、北原先生が第111回日本眼科学会で特別講演をされた際に、その研究データを使ってくれた。
「イの字型に抜けたチカチカ刺激があります。それで撮った脳の画像から、MRIの画像を通して脳のイの字を再現します。つまり脳のMRI画像を数値処理することで、何を見ていたかを再現できることを実証したんです」
「その後、このような研究は国内でもATR(脳情報通信総合研究所)などが脳活動のデコーディング(復号化)として報告しました。脳活動を可視化する研究の草分け的な位置づけになると思います」
この研究が生まれたきっかけとなったのは、 2003年の夏、シアトルで開催された国際色覚学会でスタンフォード大学のブライアン・ワンデル先生の特別講演を拝聴したことだった。
「ワンデル先生の話は、僕らが数年前から研究していたことと一緒だと思いました。でも発想は同じでしたが、技術的には向うの方が上だったので、留学すればもっと良い研究ができると思いました」
そこで、北原先生と留学の相談をして、当時東大心理学科教授の佐藤隆夫先生のお骨折りで、2004年の1月から翌年4月までワンデル先生のところに留学することになった。
アメリカでは、そこで得られる解析技術を全部習得した。同じく留学していて、たまたま知り合った麻酔科の上野雄文先生には、膨大な数値データ処理について色々なアドバイスをもらった。これまでたくさんの人の縁で研究は順調に進んでいった。
留学で純粋な学問を知り、ますます研究への思いが強くなった。それから帰国して、臨床をやりながらも人工視覚の研究を増やしていきたいという思いが強くなっていった。
「患者さんを診ていたり、色々な人から情報が入ってきて、こうじゃないかな?って発想して仮説を立てて、実験をしてその通りの結果が出たらそれは楽しいじゃないですか。しかもその結果が正しいとなったらこの上ない喜びです。でも正しいからってすぐにそれが成果につながるわけでもないし、患者さんのためになるでもない。そこがはじめは非常にストレスだったんですね。でも自分の研究が、人工視覚の方につながれば患者さんがハッピーになるし、世の中に還元できると思えばそれでいいと思うようになりました」
臨床と研究がつながって両立できる実感をつかみ、そして所沢へ。
今取り組んでいるプロジェクトについて教えて下さい
弊社代表・徳武と仲泊先生
「ロービジョン支援に関する研究で、『総合的視覚リハビリテーションシステムプログラムの開発』というのがあります。このプログラムは視覚障がい者の実態調査結果から、どういうタイプにはどんな支援が必要かを導き出す仕組みです」
「例えば、学校や役所の申請窓口で支援方法の専門的な情報や知識がない人でも、問い合わせや相談があったら、ある程度信頼性のある情報を提供できるナビゲーションシステムのようなものです。アンケートに答えてもらうと必要な情報やヒントが手に入るということです」
まだ実用化には時間がかかるが、このような研究も行っている。
「目の前にいる患者さんが幸せになるようにというのも、医者の務めですが、目の前には居ないけれど全国を視野に入れた、それこそ31万人の視覚障がい者のみんなが幸せになるためには?という観点で仕事をするのも、ある意味大事なので、これまでと違った面白さを感じています」
自分のキャリアを振り返って「今の居場所を大切に」
「どこでも初めから自分の希望なんて通らない。転職も同じです。だからそれが当たり前だと思って、少しずつ自分のやりたい方向へ近づけていく」
「やっぱり大切なのはプラス思考だと思います。居場所はどこであっても、そこならではの効率よくできることが何かある。自分がやりたいことと、効率よくできることの共通項をいかに見つけられるかですね。そこを十分に分析して『今の居場所』で楽しめることを見つけること、それがすごく大事なんじゃないでしょうか」
(取材・文:河本瑛爾)
(2012年8月)
仲泊 聡 氏 (国立障害者リハビリテーションセンター 第二診療部長)
プロフィール
1978年 | 学習院大学文学部心理学科卒業 |
---|---|
1989年 | 東京慈恵会医科大学医学部卒業 |
1991年 | 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手 |
1995年 | 神奈川リハビリテーション病院派遣 眼科診療医員 |
2003年 | 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師 |
2004年 | Stanford大学留学 |
2005年 | 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長 |
2007年 | 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授 |
2008年 | 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院第三機能回復訓練部長 |
2010年 | 現職 |
医学博士
日本眼科学会(プログラム委員)
日本神経眼科学会(評議員)
日本視覚学会(世話人)
感覚代行研究会(理事)
日本産業・労働・交通眼科学会(理事)
日本ロービジョン学会(評議員)
日本眼光学会(編集委員)
視覚障害リハビリテーション協会(理事)
神奈川ロービジョンネットワーク(顧問)
日本眼科医会身体障害者認定基準に関する委員会(委員)
日本眼科医会ロービジョンネットワーク検討会(委員)
日本眼科医会視野に関する小委員会(委員)
日本眼科医会学術委員会(委員)
所属学会
日本眼科学会、日本神経眼科学会、日本視覚学会、感覚代行研究会、日本産業・労働・交通眼科学会、日本ロービジョン学会、
日本眼光学会、日本基礎心理学会、他
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