専門医の医師の求人/募集/転職スペシャルインタビュー >平田 欽也 氏 / 六本木ヒルズクリニック院長、医療法人財団ケアリージェンシー理事長

スペシャルインタビュー
平田 欽也

成功へと導いた、揺るぎない使命感。
正統性を突きつめ、医療の王道をいく。

平田 欽也 氏
六本木ヒルズクリニック院長、医療法人財団ケアリージェンシー理事長

「開かれた医療へ。開かれた治療へ。」をテーマに、2003年に開設された六本木ヒルズクリニック。高性能医療機器を配し、電子カルテを中核にした統合的IT化により、Evidence-Based Medicine(根拠に基づく医療)を推進する、総合医療施設として知られる。六本木ヒルズクリニック院長であり、医療法人財団ケアリージェンシー理事長である平田欽也氏に話を聞く。

インビジブル・ジェネラルホスピタル

賑やかな商業施設が並ぶ、森タワーの6階。天然木の落ち着いた風合いの扉から続く、広々としたエントランス。ビルの形に沿うようにして緩やかにカーブする廊下。大きな窓から射し込む陽光が、明るく開放的な空間を創り出す。丁寧な応対で迎えてくれるスタッフに安心感が増す。ストレスを感じさせない、きめの細かい配慮が随所に見て取れる。
「これらの機器を運ぶのが大変だったんですよ。53階にある美術館用の大型エレベーターを使って入れましてね」
450坪のフロア奥に配置される、クリニック自慢の高性能機器類。1.5テスラMRI、16チャンネルMDCT、フルデジタル・マンモグラフィなど、これらを駆使した健診部門では、開業当初より直径15mmの肝ガン、10mmの肺ガン、5mmの乳ガンを次々と発見した実績を持ち、大手術に至る前の治療を可能とした。扱う技師の真剣な眼差しが注がれる。
「古いものや、精度が落ちている機械を使っていては病気を発見することができません。見えなければ“異常なし”で終わってしまう。然るべきレベルの機械を使って、専門医による素早い確定診断を出していきます」
ビル内のため入院施設は持たない。患者を家に帰すか、次の医療機関へ送るか、ベッドを持たない診療所で可能な限りの診断をつけていく。それに応じて可能な限りの治療を院内完結する形で施し、必要な患者に対しては大きな病院を紹介する。
「外来と健診の2つの機能を柱とした、いわば大学病院からベッドをなくしたようなイメージということで“インビジブル・ジェネラルホスピタル(Invisible General Hospital)”と言っています」
一般診療部門は内科、整形外科、眼科、耳鼻科など17の診療科目を標榜し、外来患者数は400人/日を超える。そのうち10パーセントは欧米からのExpertsと呼ばれる外国人で、都内では圧倒的に外国人患者の比率が高い医療機関である。また健診センターを併設し、人間ドックや企業健診にも対応。充実の施設で、質の高い医療を提供する。

脳裏に焼きついた明確なビジョン

医師への想いを抱いたのは幼少の頃。「親戚に外科医がおりました。親戚が皆、彼に対して敬意を払っている姿を見て、『医師は敬われる存在』なんだと子供心に憧れていたんです」医師にならないと後悔する―。想いが確信に変わったのは高校2年。東北大学医学部へ進学すると、自身の方向性を心臓外科に見出した。卒業後、東京女子医科大学の心臓血管外科の教室に入局。日々の充足感に浸りながらも、次第に想いはアメリカへと向いていく。
「在学していた大学は、心臓外科手術の成績が芳しくありませんでした。当時、心臓外科は黎明期だったものですから、まだ確立されていない分野で貢献したいと思ったんです。一方で、できるだけ早いうちにアメリカへ行きたいと思っていました。東京女子医科大学で師事していた教授は、心臓移植再開に向けて強い理念を持っていたので、自分がその一端を担いたかった。実際に心臓移植を見てみたかったんです」
医師になって8年目の1991年、カリフォルニア大学サンディエゴ校の胸部心臓外科学教室に入り、4年間にわたって心臓移植手術のトレーニングを積む。
「3、4人の小さなチームで、年間600~800例の手術をこなします。アメリカは医師の“個
の力”が強力なんです。医学部卒業後6年目くらいで、選ばれた人が教室に入ってきますが、
一人につき年間200例のトレーニングのオペが用意されている。
2年間で約400例をこなし、その他に教授が執刀する手術が別にある。徹底的に鍛えられて、
最後に残った人が一人前の心臓外科医として巣立っていくわけですから、やはり個々の力は
パワフルです。そんな人が3、4人も集まれば、当然早く終わるし合併症だって少ない。
午前と午後に1回ずつやって、夕方になると疲れも見せずに帰っていく。鮮烈な印象でした」
“いずれこういうグループを引っ張ってみたい”。明確なビジョンは脳裏に強く焼きついた。

開業時の苦労を乗り越えて

帰局後、依然として心臓移植の道は閉ざされたまま。もどかしい日々を過ごしていた時期に、クリニック経営の話が舞い込む。求められたのは“高い水準の医療施設”だった。
「森ビルさんからの要望は非常に高いものでした。然るべき技術と設備を持ち合わせた、高いレベルの診療所。それはキーテナントである外資系企業さんの強い要望でもあったんです」
高層オフィスビル内という制限の中、可能な限りの医療を展開する―。医師の診断技術のクオリティはもちろん、高性能機器を扱う技師や看護士の技術も求められる。グループを率いて展開する“新しい形の医療”に新たなモチベーションを見出した。44歳で東京女子医科大学を退局。準備期間を経て46歳で開業したが、初年度の苦労は絶えなかった。
「大きなビルですので、各テナントの入居が完了するまで2年近くを要しました。患者層は六本木以外の広い地域までを包括していても、六本木ヒルズの中が埋まっていないのは非常に痛かった。駅に広告を出したこともありましたが、口コミに勝る広報活動はありません。『あそこのクリニックはいい』と言っていただかないと、患者さんは増えていかない」
赤字が続き、無給での運営を余儀なくされた。赤字科目の閉鎖が検討されるなど、厳しい日が続いたが、3年目からは黒字に転換、初年度の累積赤字を5年で補填した。目指す“新しい形の医療”は軌道に乗り出した。

医療の王道をいく

「各診療科とも、それぞれに機能して良い流れになっています。そういう意味で、インビジブルホスピタルとしては、その機能をほぼ順調に果たしているところです」
外部からのバックアップがない中、やってきた事に間違いはなかった、と自信を持って言える。震災後の実績も停滞することなく伸びる一方、笑みを浮かべながら言葉が続く。
「私たちの根幹は保険医療であり、そこで実践するのは、いわゆる“by the book”。教科書で学んできた知識の延長線上にある、質の高い医療を提供すること。医療の世界的な流れに沿っていくのが目指すところです。それが“オーセンティシティ(Authenticity=正統性)”、正統性のある医療ではないかと思います」
開業して以来、オーセンティシティを浸透させながら医療技術の総括的なレベルを持ち上げてきた。目指すのは、医療のど真ん中を歩み続けること、言葉に力が籠る。
「ここにいる医師は大学の教授も数人おりますが、だからレベルが高いというわけではありません。個々の医師は若くても、技術だけはしっかりしたものを持ち、それをさらにここで磨いてもらって、患者さんに提供していくという事を実践していきたい。放っておいてただ成長をゆっくり待つということはしません」
日々の診断状況の把握とリビューを基に、医師へのフィードバックは欠かさない。正統性に沿わない部分があれば、指導を加えて鍛えていく。
「正統性が認められつつあるところから伸びてきたのではないのか、と思っています。確かに時間のかかる話ですけど、医療をやる以上、このタイムラグは仕方がないですね」

節目の10年目を迎えるにあたり

平田 欽也
弊社代表・徳武と平田先生

「こういう場所で非常に高いレベルの医療を要求されて、専門医を入れ、専門的な知識を持った技師、看護師を並べる。事務所のスタッフも含め、現在医師を入れると100名近いグループとなりました。これを引っ張っていくことにやりがいと手応えを感じています」
2013年、開業して節目の10年を迎える。心臓移植に関わることはなくなり、自身も外科医として第一線から離れることとなったが、アメリカで描いたビジョンは確かな手応えと共に、実を結びつつある。これまでの苦労を噛みしめ、クリニックの将来像を見据える。
「まさに節目の10年ですね……しかし、基本的にビル内だからこれ以上広げることはできません。外国人の患者さんの多さとか、港区特有の患者層などを考えると、このビジネスモデルを他の場所でやっても成り立たないと思います。だから同じものを是非どこかに作りたい、とか10年目だから特にこれをやろうという事はあまり考えていません。それよりは日々のブラッシュアップですね、内部的な力をさらに蓄積して、対面積当たり、対地価当たりの生産性を高めていくことは可能だと思います。それが今後10年間の目標ですね」
正統性をさらに突きつめて、医療の王道を邁進する―。揺るぎない使命感を胸に、口元をしっかり引き締めた。

(取材・文:江崎龍太)
(2012年3月)


平田 欽也 氏 (六本木ヒルズクリニック院長、医療法人財団ケアリージェンシー理事長)

プロフィール

1983年東北大学医学部卒業
同年東京女子医科大学心臓血管外科学教室入局。
1991年~1994年カリフォルニア大学サンディエゴ校 胸部心臓外科学教室で心臓移植プログラム・フェロー
1995年東京女子医科大学帰局。
2003年8月医療法人財団ケアリージェンシー理事長就任。
同年10月六本木ヒルズクリニック開設。

医学博士/東北大学医学部非常勤講師

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